「蹴上」の地名の由来とは。源義経の怒りが原因?!【ちょっと怖い京都観光】

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 京都には「蹴上(けあげ)」という地名があります。

 「源義経が激怒したこと」が地名の由来なのですが、一体なぜ激怒したのでしょうか。

 そして、激怒した義経が起こした行動とは。

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「蹴上」とは

 「蹴上(けあげ)」とは、京都市東山区にある地名です。

 京都市営地下鉄東西線「蹴上駅」があります。

 春の桜の時期には、「インクライン(琵琶湖疏水を通った船や荷物を運ぶ鉄道の跡地)綺麗な桜並木を見ることができます。

 また、東山区は秋の紅葉もとても美しく、夕焼けに西から照らされた紅葉がとても綺麗です。

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「蹴上」の地名の由来

源義経の怒り

蹴上の三条通

 その昔、源義経(牛若丸)が奥州へ向かう途中、この地で関原与一を筆頭とした「平家の侍9人」とすれ違いました。

 その時、平家一団の一人が誤って泥水を蹴り上げ、義経の衣服を汚してしまいました。

 謝ることなく通り過ぎた一団の無礼義経は激怒し、9人を切ってしまいます。

 そんな歴史から、この地を「蹴上」と呼んだそうです。

義経本人が安置した「義経大日如来」

 地名の由来の歴史には、続きがあります。

 9人を切った後、我に返った義経は、9体の石仏を安置するよう頼んで旅を続けたそうです。(諸説あり、菩提を弔うため村人が石仏を安置したとも言われています。)

 そのうちの1体が「義経大日如来」として、今も安置されています。

「義経大日如来」までのアクセス

 「蹴上駅」の出入口1番を出て、左側(南東)へ進むと、左手に「日向大神宮」の鳥居が見えてきます。

 そこをくぐり、少し進むと、左側に逸れる道が出てきます。

蹴上駅から三条通を南東に歩くと、左手に見えてくる
少し進むと、左側に逸れた道がある


 見渡すと、少し開けた広場の奥に何やら建物が見えます。
 これが「義経大日如来」です。

奥に石仏が安置されている
義経大日如来

 花入には「義経大日如来」と掘られています。

 近くには、地名にまつわる説明看板もあります。

「義経大日如来」を掘られている
地名にまつわる説明看板

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京都には他にも怖い観光スポットがたくさんある

 京都には、まだまだたくさんの「ちょっと怖い観光スポット」があります。

 よければそちらもぜひ、観光してみてください!

源義経(牛若丸)の伝説は五条大橋にも

 源義経(牛若丸)に関わる伝説は、京都の「五条大橋」にも存在します。

 義経と弁慶が決闘した有名な場所ですよね。

 でも、実は義経と弁慶が決闘した本当の場所は、現在の五条大橋ではなかったって知ってましたか?

 よければ、ぜひご一読ください!

さいごに

 いかがでしたでしょうか。

 服が汚れただけで切ってしまう・・・
 私が思っていた美しい義経像とは、少し違っていました。

 そういや、最近の大河で出てきた義経は、結構この性格が表れていた気もします!

 それではっ!

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