京都で有名な「牛若丸と弁慶の伝説」。
決闘の地は「京の五条の橋の上」なのですが、実はこの決闘の地、現在の五条大橋ではないそうです。
では、一体どこなのでしょうか。
観光の際、ぜひ参考にしてみてください!
「牛若丸」と「弁慶」の決闘とは
むかし、京都で「弁慶」という乱暴者がいました。
弁慶は、道ゆく侍から刀を奪っておりました。
刀を999本奪い、いよいよ1000本目というところで、五条大橋を笛を吹きながら歩く「牛若丸」と出会います。
弁慶は、刀を奪おうと牛若丸に襲いかかります。
しかし、牛若丸はこれを飛び退いて交わし、欄干(橋から落ちないように設置する柵のこと)の上へ上がると、続く攻撃もひらりひらりと交わし、弁慶は返り討ちにあってしまいます。
その後、弁慶は、牛若丸の家来となったそうです。(※諸説あるようですが、有名な伝説の一つです。)
現在の五条大橋
実は、ある場所から架け替えられた
現在も、京都には「五条大橋」が存在します。
しかし、実は、この場所に五条大橋が掛かったのは、牛若丸と弁慶の決闘の後なんです!
二人が戦ったとき、五条大橋はこの場所にはありませんでした。
後から架け替えられ、現在の場所になったそうです。
では、一体「五条大橋」は、元々はどこに架けられていたのでしょうか。
「牛若丸」と「弁慶」の銅像の場所
現在の五条大橋のそばには、「牛若丸と弁慶の銅像」が建てられています。
とても可愛らしいので、一度実際に見てみてください。
五条通のど真ん中にあるので、影がなく、夏はめちゃめちゃ暑いので気をつけてください笑
「京都のホテル・旅館」を楽天トラベルで探す/予約する 「京都のホテル・旅館」をじゃらんで探す/予約する本当の決闘の地
現在の「松原橋」のある場所が、本当の決闘の地
本当の牛若丸と弁慶の決闘の地、実は、現在の「松原橋」の場所なんです!
二人の決闘の時、五条大橋は、現在の「松原橋の場所」に架かっていました。
元々五条大橋が架かっていたのは、現在の場所とは違うんですね。
銅像も現在の五条大橋の近くにあるので、勘違いしてしまいますよね笑
「松原橋」は、川端通にも面しており、車が結構行き交っています。
観光する場合は歩いて行くことをおすすめします!
「京都のホテル・旅館」を楽天トラベルで探す/予約する 「京都のホテル・旅館」をじゃらんで探す/予約する豊臣秀吉の命令で、現在の五条大橋の位置に架け替えられた
松原橋のそばには、説明看板が立てられています。
ここには、「五条大橋の架け替え」や「牛若丸と弁慶の決闘」について、書かれています。
平安時代、松原橋の架かるこの通りを「五条大路」と呼んでいて、清水寺の参詣道でした。
元来、この地に架かっていた橋が「五条橋」と呼ばれていました。
通りの両側に松並木があったことから「五条松原橋」とも呼ばれていたようです。
ところが、安土桃山時代、方広寺へ行きやすくするため、豊臣秀吉の命令で、「五条橋」を現在の五条通の場所に架け替えたんです!
牛若丸と弁慶の伝説に謳われる「京の五条の橋の上」とは、現在の「松原橋」の場所ことなんですね。
「松原橋」から眺める鴨川の景色
松原橋を歩いていくと、とても眺めの良い景色が目の前に広がります!
「鴨川」や「納涼床」を一望すると、これぞ京都の風景!と感じること間違いなしです!
ちなみに、よく間違われるのですが、「納涼床」と「川床」は違います。
よければ、参考にご覧ください!
「五条大橋」が登場する名探偵コナンの映画もオススメ
五条大橋は有名なため、人気アニメの映画にも登場しています。
私が好きな名探偵コナンの「迷宮の十字路」は、京都が舞台でめちゃめちゃ面白いです!
ぜひご覧ください!
さいごに
いかがでしたでしょうか。
午前中に京都の伝説を巡り、四条河原町でランチや買い物を楽しんで、木屋町通で夜の京都を楽しむ。
そんな過ごし方もまた一興です。
京都には他にもたくさんの魅力があるので、これからも発信していけたらと思います!
それではっ!
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